Happy New Year
Happy New Year
昨年はこれまでの人生でおそらく一番辛い年だったように思います
最初のガン発覚から2年の間に3回の手術
辛く悲しく 出口の見えない暗いトンネルをさまよっているような息苦しい日々が続きました
人生65年 こんなに頑張ってるのに 何で更に辛い思いをしなくてはいけないのか
くじけそうでした もう頑張るのをやめようかとよぎったこともありました
でも いつも応援して支えてくれる皆さんの存在があり その力を借りて 前向きに年を越すことができました
今年は酉年 皆さまにとって「幸せいっぱい フクいっぱい」の一年になりますようにお祈りします
今年もよろしくお願いね
二人三脚
退院後1か月、回復も順調ですので、軽スポーツを再開しました(浦賀ドック)
三度目の正直

さよなら胃袋くん
夏の疲れが出やすい時節、皆様におかれましては、くれぐれも体調を崩さないようご自愛の上、爽やかな秋を満喫されますことをお祈り申し上げます。
ところで、小生はいよいよ「まな板の鯉」状態となりました。
【個室】
小生の入院生活は、還暦を迎えてから、今回を含め4回目です。
入院に際しては、いずれも個室を選択しております。
やっぱり個室の方が楽でしょう。
テレビも見たい時に見れて、来訪者とも気兼ねなく面会をすることができますし、よりプライバシーも保たれますしね。
今回の個室は、ちょっと奮発して1泊二万一千円也です。
懐石料理&露天風呂付きかもね?(笑)
【手術内容】
主治医(年齢30代後半、イケメンの医師)から手術内容及び予想される合併症の説明を受けました。
手術は、痛みが少なく傷が目立たない、患者にとってメリットの多い腹腔鏡切除術で、胃の噴門側二分の一と胆嚢を切り取る旨の説明でした。
ただし、開腹手術に比べて時間を要し、優れた技術を必要とする術式であることも理解しました。
手術は、明日(26日)午前8時30分から執り行われます。
【最後?の晩餐】
完全な胃袋での晩餐は今夜限り。永年付き合った胃袋くんの最後の晩餐が病院食とは・・胃袋くんゴメンね。
birthday
高齢者とは、いったい何歳からのことをいうのでしょうか?
日本の統計調査では65歳以上と定めているようです。
ちなみに、国連では60歳以上、世界保健機関(WHO)では65歳以上を高齢者としています。
Today is my birthday
今日は私の誕生日です!
Please celebrate if good
よかったら祝ってください
今や私は65歳に到達しました。
しかし1970年代で時間が止っている私の頭では、年老いたという自覚はありません。
かといって「まだ若い」などと粋がるつもりはありませんが、老け込むまいとスポーツサイクルで汗を流し、体力錬成に努めている、今日この頃です。
【高齢者に仲間入りして思うこと】
心身の健康はなによりの財産だと、強く感じるのは失ってからですね。
何に対してもそうですが、自分が今もっているものがいかに大切なものか、恵まれているものかということを実感するのはとても難しいと思います。
健康な肉体を持っている時に、身体を大切にしなさい、と言われてもあまり身にしみません。
心身の健康は有り難い…文字通り「有ることが難しい」のです。
医食同源
朝食は、朝餉(あさげ)、朝飯、朝御飯とも。
英語風にブレックファーストやブレイクファースト とも言います。
おはようございます!
みなさんしっかり朝ごはんは食べていますか?
「朝食」を食べるといいことがたくさんあるそうです。
①脳の活性化
②太りにくくなる
③ストレス予防
④便秘解消
⑤糖尿病予防
と言った具合です!
コーヒーだけの朝食はダメですよ!
日頃から、バランスの取れた美味しい食事をとることで、病気を予防しましょう。
暴飲暴食の付けが回って胃癌を発症した、小生だからこそ、言葉に重みがあるのではないでしょうか。(笑)
ドトールの朝カフェ・セットで「いただきま~す」
BMI

かながわの景勝 秋山の立石
【ダイエット・ダイエットと言いながら、葉山では裕次郎コロッケこと葉山コロッケを買い求めてパクリ。】
胃胃日旅立ち

暑中お見舞い
朗報
4月28日午後、退院後4周間目に通院し、主治医の先生から朗報がありました。
「手術時に採取した組織の病理検査の結果が出ました。
ガンは綺麗に採り切れました。
ガン細胞は胃の粘膜に止まっており、リンパ及び静脈に浸透していませんでした。
3ヶ月後に手術痕を内視鏡で確認して、異常がなけれは、これまでどおり年一回の内視鏡検査を受けてください。
追加治療の必要ありません。安心して下さい。」
今の私にとってこれ以上の朗報はない。嬉しかった。
自室に落ち着いてしみじみ喜びを噛み締めました。
健康は、人間の幸せの中で、大きいものの一つです
健康だから得られる幸せもたくさんあります
でも、健康の幸せを感じられる人は少ないでしょう
健康にあまり注意しないで生活している人もたくさんいます
健康の大切さは、失ってみてはじめて、その大きさに気づく人が多いようです。
今宵は、1ヶ月ぶりに味わうほろ酔い加減です。
健康は有難い
本日(4/5)退院することができました。
先ずは、皆様の温かい励ましのお言葉に対し、厚く御礼を申し上げます。
ドクターは退院に当たって
内視鏡によって切除された腫瘍は病理検査中である
ガンがリンパ管や静脈へ及んでいるか否かは検査結果による
検査結果によっては開腹手術の必要性もあり得る
現時点は「退院=完治」ではないことを心にとどめて欲しい
ことの説明をしておりました。
兎にも角にも、療養という名の9泊10日の禁固刑から仮釈放されたことを、ここにご報告します。
次回の通院は4月28日ですが、病理検査が良い結果になるよう願いつつ、ドクターの指示事項
禁煙通院までのアルコール禁止
を順守し、再収監されないよう努める所存であります。
折しも、喉頭ガンで療養中の音楽プロデューサー・つんく♂(46)が、声を失ったことを明らかにしました。
「有難い」とは「有ることが難しい」、「有ることがまれ」 だからこそ感謝の念を抱くという意味です。
健康は有難い・・
医学の進歩
皆さんには、ワタシの病を対岸の火事としてではなく、他山の石として受け止め健康管理に努めていただきたいと思います。
胃ガンの早期発見のためには、1年に1回の胃カメラ検査を受けることが大切です。
特に、慢性胃炎が目立つ人は、胃ガンが発生しやすいといわれております。
ご多分に漏れず、ワタシも慢性胃炎を指摘され、約5年前から毎年胃カメラ検査(2年毎に大腸カメラ検査)を受け続けてきました。
胃がんの原因は、塩分の多い食事、お酒の飲みすぎ、長年の喫煙習慣、肥満などが危険因子とされています。(全てが該当)
忠臣蔵の「遅かりし由良之助」ではありませんが、今は生活習慣を改め週2~3日の休肝日と禁煙を励行しております。
また、近年ピロリ菌の存在がクローズアップされ,ピロリ菌と胃がんには強い因果関係があることが特定されています。(昨年、撃退しました。)
胃がんの発生初期に、自覚症状を訴えることはほとんどないそうです。(ワタシも食欲旺盛です。)
胃がんが大きくなり、胃液の分泌や胃の運動を障害するようになると、上腹部の痛み、吐き気、げっぷの頻発、漠然とした不快感といった症状が出たり消えたりするようになるそうです。
【内視鏡的粘膜下層剥離術とは】
早期がんに対して行われている内視鏡治療は、開腹手術に比べて入院日数が短期間ですみ、また患者への負担も軽くできるため、従来の外科治療に代わる新しい治療法として注目されています。
内視鏡を使った治療法には、金属の輪を病変部に引っ掛け、高周波電流を流して切り取る方法(内視鏡的粘膜切除術EMR)や、最近では、専用の処置具を使ってより大きな病変を切り取る方法も行われるようになってきています。
これは内視鏡的粘膜下層剥離術(ESD)と呼ばれています。
EMRは、治療が比較的短時間ですみますが、一度に切り取ることができる病変が、約2cmまでと制限があるのに対し、ESDでは専用の処置具を使い、より広範囲に病変を切り取ることが可能な治療法です。
切り取られた病変は、最終的に顕微鏡でその組織の様子が確認されます(病理検査)。
ESDでは大きな病変もひとかたまりで取れ、また病理検査でのより正確な診断にも役立つと考えられています。
【オリンパス お腹の健康ドットコム http://www.onaka-kenko.com/】
検査結果
その言葉は、ある日不意に言い渡される――「がん」。
耳にした瞬間、多くの人は「死」を初めて実感し、自分の「命」を改めて認識するようになると
いいますが、ご多分に漏れずワタシもその一人でした。
2月23日の術前検査結果に臨んでは冷静さを装いながらも、パソコンで知り得たにわかじ
こみの医学知識で「進行ガンあるいは完治不可能といわれるスキルス性胃がんでは・・」と悲
観的な考えが頭の中をぐるぐる駆け巡る状況で受診しました。
医師は「胃がんは胃の内面を覆っている粘膜の細胞ががん化して発生するものであり、病
変を含んだ範囲の粘膜を一括で切除して、病理検査し最終的に転移のない早期胃がんで
あったか、完全治癒ができたか確認しなければ断言できませんが、あくまで内視鏡による目
視ですと・・胃の粘膜の表面から浅い部分に止まっている早期胃がんと認められる・・カラダ
に負担のかかる開腹手術てはなく、内視鏡的胃粘下層剥離術で対応する。」旨の胸を撫で
下ろす説明でありました。
手術は約1ヶ月後の3月30日、入院期間は約10日の予定です。
医師の指示に従い、アルコールは適量に抑え、禁煙に向け奮闘努力し、まな板の鯉になる
覚悟です。
皆様の元気パワーに感謝・感謝です。
告知
「〇〇さん、お入りください。」名前を呼ばれて診察室に入る。
医師の面前の丸椅子に座るなり、医師は穏やかな口調で、こう切り出した「結論から申し上げます。病理検査の結果は、悪性腫瘍いわゆるガンです。」
医師は胃カメラの画像を指し示しながら「胃のこの辺りに発赤があり組織検査をしました。検査の結果は、いわゆる、ガン細胞でした・・」
今思えばワタシの頭の中は真っ白になり、医師のその言葉が他人事のように聞こえていました。
ドラマの中で医師から患者がガンの告知を受けるシーンを観たことがありましたが、まさか、ワタシがその主人公になるとは・・
「横浜市大センター病院 消化器科 ○○ 先生 御机下」と記された紹介状をいただき、翌2月6日初診を受ける。
今後の日程は
2月13日 上部消化管内視鏡検査(術前検査)
2月17日 胸~骨盤造影CT検査
2月23日 検査結果と手術方法の説明
の予定です。
ガンは日本人の二人に1人が発症し、三人に1人が亡くなる病と言われています。
皆さん、定期検診をくれぐれもお忘れなく
メッセンジャー
お久しぶりのこんにちは!! です^^
あいも変わらず、更新が滞るご主人様のブログです(汗)
ご主人様は「飽きっぽい」「気まぐれ」そんな風に言われてしまう“B型の性格”ですので、成長
を長い目 で見てくださいね。
オッと!! 成長といっても、ご主人様は高齢者間近の63歳になるのですね
ところで、ご主人様から、大ちゃん宛にコメントを預かってきましたのでご紹介しますね。
「この度の御昇進、本当におめでとうございます。
心よりお祝い申し上げます。
日頃の活躍が評価されての御昇進と思います。
今後は、さらに激務となりましょうが、多年の経験を存分に生かし、縦横に才腕を発揮するようお祈り申し上げます。
くれぐれも御身ご大切に頑張ってください。
熊っち、Gケンのお祝いも間近ですが、くれぐれも来春まで○安でね。」
ちなみに、ワタシことリリーは10月24日で満1歳の誕生を迎えます。
お祝いは、ご主人様が受付ますので宜しくね。
ごきげんよう。さようなら♪
風雲児
「幕末史の奇跡」と呼ばれた風雲児坂本龍馬33年の生涯を男気たっぷりに福山雅治が演じるNHK大河ドラマ「龍馬伝」を観て感動し、竜馬の足跡を訪ねてみました。
京浜急行立会川駅周辺はかつて、旧土佐高知藩 山内家の下屋敷があったことで知られています。
そして土佐といえば、幕末の英雄坂本龍馬抜きには語れません。
龍馬が江戸で過ごした青年期は、1853年(嘉永6年)のペリー来航に続く「黒船」騒動の渦中であり、後の明治維新へとつながる激動の時代。
剣術修行のために上京した龍馬(19歳)が、藩の命を受けて、警備についた浜川砲台が立会川にあったことから、「若き日の龍馬が歩いた街」として立会川駅横の公園入口に銅像が建立されています。
一方、京都の寺田屋騒動で坂本龍馬の危機を救った女性として知られる龍子(おりゅう)は、坂本龍馬亡き後、高知・京都・大阪・東京を転々とした後、人生の後半生33年間を横須賀で過ごしました。
その龍馬の妻おりゅうさんの墓は、京浜急行「京急大津」駅下車、徒歩約7分の信楽寺(しんぎょうじ)の境内にあります。
雷神社
雷神社(いかずち)は火雷命(ほのいかづちのみこと)を祭神として祀っています。
『古事記』に記された神話の中では、死んだ妻のイザナミノミコトを追ってイザナギノミコトが黄泉(よみ)の国に下った際、イザナミノミコトは黄泉の国の食物を食べたため黄泉の国から出る事ができないとイザナギノミコトに応えました。
しかし、自分を追って黄泉まで来たイザナギノミコトの願いを叶えようと黄泉の神に談判するため御殿に戻りました。
その後、何時まで経っても戻らないイザナミノミコトが気になり、御殿に入ったところ、そこには頭に大雷神、胸に火雷神など8柱の雷神が生じているイザナミノミコトの姿があり、イザナギノミコトは怖ろしくなり黄泉の国から逃げ帰ったとされています。
雷が多い地方などで雷神はよく信仰され、落雷から身を守ってくれる神様として、雨をもたらす稲作の守護神として雨乞いなどで祭られる事が多いとのことです。
雷神社の御神木は鳥居脇の樹齢400年の銀杏の木ですが、残念ながら時期が早く黄金色に染まっておりませんでした。
天気晴朗なれど波高し
「まことに小さな国が、開化期を迎えようとしている。 四国は、伊予松山に三人の男がいた。
この古い城下町に生まれた秋山真之は、日露戦争が起こるにあたって、勝利は不可能に近いと言われたバルチック艦隊を滅ぼすに至る作戦を立て、それを実施した。
その兄の秋山好古は、日本の騎兵を育成し、史上最強の騎兵といわれるコサック師団を破るという奇跡を遂げた。
もう一人は、俳句、短歌といった日本の古い短詩形に新風を入れて、その中興の祖となった俳人正岡子規である・・・」
これは、故司馬遼太郎氏原作の「坂の上の雲」をDVD化した冒頭のナレーションです。
全13巻の最終章を観終えた直後の感動の深さと重さは言い様のないもので、興奮の余韻が長い間持続しました。
映画に感化され私は、横須賀駅近くにある三笠公園を訪れ、東郷平八郎率いる連合艦隊戦艦「三笠」を見学して来ました。
「天気晴朗なれど波高し」の打電後、旗艦三笠らはロシア帝国バルチック艦隊を滅ぼすに至る
東郷平八郎海軍大将と秋山眞之作戦参謀の立ち位置
東郷平八郎海軍大将海軍大将の銅像
Yasukuni Jinja
新秋の涼が心地よい日曜日、戦没者246万6千余の霊が祀られている東京の靖国神社を訪れました。
国のために戦って尊い命を犠牲にした方々に手を合わせながら「戦争で死んだ若者たちが生きていたら、戦後の日本はもっと早くもっと華やかに復興したであろう」、「彼らのお陰で今があるのである」と万感胸に迫りました。
そして靖國神社の遊就館を見学し、遺書などの文面から彼らの純真さや気概などを深く感じ、今日という日が自分を見直すいい機会となったように思います。
朱印
第一鳥居(大鳥居)。
沖縄戦でのひめゆり学徒隊、白梅学徒隊等の7女学校の生徒、南樺太での真岡郵便電信局事件の女性も祀られている。
零式(れいしき)艦上戦闘機(遊就館内に展示)
軍馬、軍犬慰霊像
もう二度と戦争をくり返さないためにも、戦争の悲劇を忘れないことが大切だと思います。
ヤマトタケル
久々の取材です。今回は六十の手習いということで、古事記に登場する横須賀の走水神社をご紹介します。
古事記の中で一番好きな話は、日本武尊(ヤマトタケル)の妻である弟橘媛(オトタチバナヒメ)がヤマトタケル東征の際に、海の神の怒りを鎮めるために自らを犠牲にして海に入水する場面です。
ヤマトタケルが軍船で走水の海を渡ろうとしたところ、その海の神が波を起こしたため、船はくるくると回転してしまい、すると、この船に一緒に乗っていたオトタチバナヒメが 「わたしが、この乱暴な海の神を鎮めるために、あなたのかわりに海に入りしましょう。あなたは、天皇の命を完遂してほしい。」
そうして、オトタチバナヒメは、次のような歌を詠み海中に身を投じたといいます。
さねさし 相模の小野に 燃ゆる火の 火中(ほなか)に立ちて 問ひし君はも
「これも、あの相模の国の野で賊にだまされ火攻の難に遭遇した際、燃える火の中で、わたしの名を呼んでくださった愛するあなたのためですもの。」
マイカーで行けば一っ飛びなのですが、温故知新という思いもあって電車バスを乗り継ぎ目的地へと向かいました。(京浜急行浦賀駅から観音崎行きのバスに乗り終点観音崎で下車、観音崎ボードウォークを経由し、徒歩10分)
日本武尊(ヤマトタケル)弟橘媛命(オトタチバナヒメノミコト)を祀る走水神社
手水舎(てうずや)深さ30mより湧き出ている真水です。富士山より永い歳月を掛け、この辺一帯に湧き出ていると言い伝わっています。
日本武尊(ヤマトタケル)から賜った冠を石棺に納め、その上に社殿を建立して御祭神を祀っているといわれる。
社殿に寄り添うように建立された弟橘媛命(オトタチバナヒメノミコト)を祀る別宮
明治43年に東郷平八郎海軍大将、乃木希典陸軍大将らによって建立された弟橘媛命(オトタチバナヒメノミコト)の記念碑
つかの間の古事記の旅でしたが、オトタチバナヒメの辞世の句は献身的な夫への愛に満ちあふれていて感動しました。
神風
終戦記念日
特攻隊員の遺した遺書の、心を打たれた一文
「人生五十年、自分は二十歳まで長生きしました。残りの三十年は父母上に、半分づつさしあげます。」
特攻 相花信夫少尉
http://matome.naver.jp/odai/2127918470741868701
http://www.geocities.jp/kamikazes_site/isyo/isyobun/aihanaisyo.html
ベジタリアン
半月余の入院生活で、健康の大切さを思い知らされ、退院後は野菜を中心にとるベジタリアンに変身しました。
野菜にはさまざまな成分が含まれています。
しかも、野菜に含まれる成分は健康を維持するために大切なものばかり。
野菜にはビタミンB1、B2、ビタミンC、カロテン、カルシウム、カリウム、鉄、食物繊維などいろいろな成分が入っています。
これらの野菜を上手に食事に組み合わせて、バランスよく摂取するのがベストらしいです。
また、食後は善玉菌の動きが活発になり、ビタミンBをたくさん作ってくれるヨーグルトを欠かさずいただいております。
これって常識 ?
お酒と煙草は・・依然止められません。(笑)
かもめの水兵さん(投稿 ニコンの男)
ゴッドハンド
本日、退院後初の検診に行ってきました。
検診結果は黄斑の孔(穴)は完全に塞がっており、術後の経過は良好。
今日から洗顔・洗髪、仰向け就寝OKの許可が出ました。また2週間にわたって生活を伴にしてきた眼内の医療用ガスもタイミングを計ったかのように、無言で消滅してくれました。
主治医の先生のお話によると、この黄斑円孔の手術は10年前から行われるようになったそうで、それ以前は治療法はなかったそうです。
10年前でなくてよかったとつくづく思います。
私達の知らないところで沢山の医療関係者の方々が日夜、治療の研究に励んでいてくれたのですね。
「暗闇からの生還」ゴッドハンドの主治医には、いくら感謝しても感謝しきれません。
3周年記念
ゴールデンウィークを挟んで入院・手術そして退院とせわしい日々を過ごしていたら、いつの間にかブログ開設から三年を経過していました。
2010年5月8日おぼろげに開設してから、三周年。
「継続」することは、あまり得意ではありませんので自分でもびっくりしていますが 、 これもご覧になってくださっている皆様のおかげです。
今後も、ブログを通して、交流させていただいている方との素敵なご縁、出会いを大切にマイペースにまったりと続けてまいりたいと思います。
今後とも、どうぞよろしくお願い申し上げます。
初ブログはこちらから。
京都御所にて撮影(入院前2013.4.12)
入院初日
病室は個室をお願いしました。
部屋は明るく清潔で、まるでホテルの個室のようです。(^^)
看護士さんも患者の不安を解消すべく親身になってお世話してくれます。
ただ病院食は(昼食)...米飯、まぐろ照焼、おろし醤油あえ、フルーツといったところです。
晴天のへきれき
唐突のご報告ですが、私こと左目硝子体手術のため本日(4月19日)入院しました。
手術は週明けの22日月曜日に執り行われる予定です。
網膜(フィルム)の中心部である黄斑に穴(孔)が開いている『黄斑円孔』という病です。
黄斑円孔が生じると視力が低下し、物が歪んだり途切れたり、中心が黒く見えたりするそうです。
現時点の症状は、左目視力は1.2から0.4まで低下し、テレビの人物像は歪んで確認できない状態であります。
分かりやすく表現すると人物像が、お笑いで一世を風びした『クシャおじさん』の顔のように見えるのです。
したがって、どんなに容姿端麗な女性でも、私の左目にかかったら一溜まりもありません。
病の発覚から入院まで2ヶ月余りと待機時間が長かったので、入院でホッとした反面、眼科的には大手術であり、正直なところ一抹の不安を抱いております。
しかし、この場に至っては『まな板の鯉』、執刀医に全てお任せするしかありません。
入院生活は約2週間の予定であり、術後は俯き姿勢を1週間ほど余儀なくされます。
そのため、暫くブログは休止させていただくことになります。
退院後は再びスタートしますので、今後ともご哀願のほどよろしくお願いいたします。m(_ _)m
【なにやら、当家のご主人様は、スマフォを病院に持ち込んだようです。ご主人様の暇つぶしと言っては語弊がありますが、できましたらコメントをいただければ喜ぶと思いますので、宜しくお願いしますワン!】
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