西郷どん

西郷隆盛は、1877年(明治10年)、明治政府に対する反乱(西南戦争)を起こして亡くなりました。

西南戦争後は賊軍として扱われましたが、余りある明治維新への功績と人柄に心寄せる人は多くいたようです。

大日本帝国憲法発布記念で恩赦を受け、多くの有志の献金で、生前、よく散歩に来た上野に西郷像が建立されたとのことです。

西郷どんが連れているのは愛犬ツン(雌の薩摩犬)で、柴犬ぐらいの大きさです。

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上野と言えば寛永寺。

徳川将軍家の菩提寺であり、徳川将軍15人のうち6人(家綱、綱吉、吉宗、家治、家斉、家定)が眠っている。

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天狗伝説

東海道新幹線「小田原駅」から伊豆箱根鉄道大雄山線「大雄山駅」~バス約10分「道了尊」下車 。

静かな山間に佇む曹洞宗の寺院、大雄山最乗寺。

創建に貢献した道了という僧が、寺の完成と同時に天狗になり身を山中に隠したと伝えられることから、道了尊とも呼ばれています

初冬の肌寒さを感じる頃、雄峰の紅葉は見頃を迎え、訪れた参拝者に忘れかけていた日本の美を思い出させてくれる。

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風雲児

「幕末史の奇跡」と呼ばれた風雲児坂本龍馬33年の生涯を男気たっぷりに福山雅治が演じるNHK大河ドラマ「龍馬伝」を観て感動し、竜馬の足跡を訪ねてみました。

京浜急行立会川駅周辺はかつて、旧土佐高知藩 山内家の下屋敷があったことで知られています。

そして土佐といえば、幕末の英雄坂本龍馬抜きには語れません。

龍馬が江戸で過ごした青年期は、1853年(嘉永6年)のペリー来航に続く「黒船」騒動の渦中であり、後の明治維新へとつながる激動の時代。

剣術修行のために上京した龍馬(19歳)が、藩の命を受けて、警備についた浜川砲台が立会川にあったことから、「若き日の龍馬が歩いた街」として立会川駅横の公園入口に銅像が建立されています。

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一方、京都の寺田屋騒動で坂本龍馬の危機を救った女性として知られる龍子(おりゅう)は、坂本龍馬亡き後、高知・京都・大阪・東京を転々とした後、人生の後半生33年間を横須賀で過ごしました。

その龍馬の妻おりゅうさんの墓は、京浜急行「京急大津」駅下車、徒歩約7分の信楽寺(しんぎょうじ)の境内にあります。

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雷神社

雷神社(いかずち)は火雷命(ほのいかづちのみこと)を祭神として祀っています。

『古事記』に記された神話の中では、死んだ妻のイザナミノミコトを追ってイザナギノミコトが黄泉(よみ)の国に下った際、イザナミノミコトは黄泉の国の食物を食べたため黄泉の国から出る事ができないとイザナギノミコトに応えました。

しかし、自分を追って黄泉まで来たイザナギノミコトの願いを叶えようと黄泉の神に談判するため御殿に戻りました。

その後、何時まで経っても戻らないイザナミノミコトが気になり、御殿に入ったところ、そこには頭に大雷神、胸に火雷神など8柱の雷神が生じているイザナミノミコトの姿があり、イザナギノミコトは怖ろしくなり黄泉の国から逃げ帰ったとされています。

雷が多い地方などで雷神はよく信仰され、落雷から身を守ってくれる神様として、雨をもたらす稲作の守護神として雨乞いなどで祭られる事が多いとのことです。

雷神社の御神木は鳥居脇の樹齢400年の銀杏の木ですが、残念ながら時期が早く黄金色に染まっておりませんでした。

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あうんの呼吸

仏の世界を守る守護神に二対一体の仁王様(金剛力士像)がいます。

仁王門に向かって左の仁王は阿形(あぎょう)、右の仁王は吽形(うんぎょう)といいます。

これがあうんの呼吸の由来です。

仕事も私生活もあうんの呼吸で運べばいいですね。

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北条実時の開期した金沢山(きんたくさん)称名寺

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口を開いた阿形(ぎよう)

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口を閉じた吽形 (うんぎよう)

      

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五七五七七

鎌倉大仏裏側の観月堂の傍らには、有名な与謝野晶子の歌碑が建てられています。

「かまくらや みほとけなれど 釈迦牟尼は 美男におわす 夏木立かな」

与謝野晶子は、この大仏を美男の釈迦と詠んでいますが、この大仏様は、実は阿弥陀様です。

阿弥陀あるいは、阿弥陀様では字余り、あるいは字足らずになるからでしょうか、それとも間違えたのでしょうか。

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お地蔵さん

地蔵菩薩は修行中(現在進行形)の弥勒菩薩(みろく)が仏になるまでの間、仏になり代って人々を救うため、八面六臂の大活躍をしているのです。

人々は、一般的に、親しみを込めて「お地蔵さん」、「お地蔵様」と呼び、子守り歌、昔話、童謡、はては 「これこれ石の地蔵さん・・・」 と流行歌にまで登場している特異な存在です。

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本尊地蔵菩薩と天井に描かれた雲龍図(鎌倉建長寺)

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白衣観音

JR大船駅に近づくと、車窓から真っ白な大船観音が望まれます。

大船は鎌倉への玄関口 、いつも私達に神々しいお顔と優しい微笑で迎えてくれる白衣観音、思わず合掌。

世界に誇れる豊かな日本社会は、それ自体とてもすばらしいことです。その一方で、世間を騒がすアブノーマルな事件。

何か取り返しのつかない大切なものを失ってしまっている感じがします。

それは、生きとし生けるものに対する優しい心、他人のために役立ちたいという利他の心ではないでしょうか。

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明治神宮

若者の集まるショップが建ち並んで賑やかな原宿の竹下通と落ち着いた雰囲気の広大な緑に覆われた明治神宮とは背中合わせ。

なにか違和感というか不自然さを感じるロケーションですが、かつてここは樹木のほとんどない荒れ地だったそうです。

93年前、明治天皇昭憲皇后の両御祭神をお祀りする自然の森を人々はどんな思いで造ったのでしょうか・・先人に想いを馳せる大人の社会見学でした。

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神宮近くの東郷神社(東郷平八郎海軍大将)と乃木神社(乃木希典陸軍大将)も参拝してきました。

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ヤマトタケル

久々の取材です。今回は六十の手習いということで、古事記に登場する横須賀の走水神社をご紹介します。

古事記の中で一番好きな話は、日本武尊(ヤマトタケル)の妻である弟橘媛(オトタチバナヒメ)がヤマトタケル東征の際に、海の神の怒りを鎮めるために自らを犠牲にして海に入水する場面です。

ヤマトタケルが軍船で走水の海を渡ろうとしたところ、その海の神が波を起こしたため、船はくるくると回転してしまい、すると、この船に一緒に乗っていたオトタチバナヒメが 「わたしが、この乱暴な海の神を鎮めるために、あなたのかわりに海に入りしましょう。あなたは、天皇の命を完遂してほしい。」
そうして、オトタチバナヒメは、次のような歌を詠み海中に身を投じたといいます。
   

  さねさし 相模の小野に 燃ゆる火の 火中(ほなか)に立ちて 問ひし君はも

「これも、あの相模の国の野で賊にだまされ火攻の難に遭遇した際、燃える火の中で、わたしの名を呼んでくださった愛するあなたのためですもの。」

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マイカーで行けば一っ飛びなのですが、温故知新という思いもあって電車バスを乗り継ぎ目的地へと向かいました。(京浜急行浦賀駅から観音崎行きのバスに乗り終点観音崎で下車、観音崎ボードウォークを経由し、徒歩10分)

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日本武尊(ヤマトタケル)弟橘媛命(オトタチバナヒメノミコト)を祀る走水神社

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手水舎(てうずや)深さ30mより湧き出ている真水です。富士山より永い歳月を掛け、この辺一帯に湧き出ていると言い伝わっています。

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日本武尊(ヤマトタケル)から賜った冠を石棺に納め、その上に社殿を建立して御祭神を祀っているといわれる。

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社殿に寄り添うように建立された弟橘媛命(オトタチバナヒメノミコト)を祀る別宮

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明治43年に東郷平八郎海軍大将、乃木希典陸軍大将らによって建立された弟橘媛命(オトタチバナヒメノミコト)の記念碑

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つかの間の古事記の旅でしたが、オトタチバナヒメの辞世の句は献身的な夫への愛に満ちあふれていて感動しました。

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