風雲児
「幕末史の奇跡」と呼ばれた風雲児坂本龍馬33年の生涯を男気たっぷりに福山雅治が演じるNHK大河ドラマ「龍馬伝」を観て感動し、竜馬の足跡を訪ねてみました。
京浜急行立会川駅周辺はかつて、旧土佐高知藩 山内家の下屋敷があったことで知られています。
そして土佐といえば、幕末の英雄坂本龍馬抜きには語れません。
龍馬が江戸で過ごした青年期は、1853年(嘉永6年)のペリー来航に続く「黒船」騒動の渦中であり、後の明治維新へとつながる激動の時代。
剣術修行のために上京した龍馬(19歳)が、藩の命を受けて、警備についた浜川砲台が立会川にあったことから、「若き日の龍馬が歩いた街」として立会川駅横の公園入口に銅像が建立されています。
一方、京都の寺田屋騒動で坂本龍馬の危機を救った女性として知られる龍子(おりゅう)は、坂本龍馬亡き後、高知・京都・大阪・東京を転々とした後、人生の後半生33年間を横須賀で過ごしました。
その龍馬の妻おりゅうさんの墓は、京浜急行「京急大津」駅下車、徒歩約7分の信楽寺(しんぎょうじ)の境内にあります。
雷神社
雷神社(いかずち)は火雷命(ほのいかづちのみこと)を祭神として祀っています。
『古事記』に記された神話の中では、死んだ妻のイザナミノミコトを追ってイザナギノミコトが黄泉(よみ)の国に下った際、イザナミノミコトは黄泉の国の食物を食べたため黄泉の国から出る事ができないとイザナギノミコトに応えました。
しかし、自分を追って黄泉まで来たイザナギノミコトの願いを叶えようと黄泉の神に談判するため御殿に戻りました。
その後、何時まで経っても戻らないイザナミノミコトが気になり、御殿に入ったところ、そこには頭に大雷神、胸に火雷神など8柱の雷神が生じているイザナミノミコトの姿があり、イザナギノミコトは怖ろしくなり黄泉の国から逃げ帰ったとされています。
雷が多い地方などで雷神はよく信仰され、落雷から身を守ってくれる神様として、雨をもたらす稲作の守護神として雨乞いなどで祭られる事が多いとのことです。
雷神社の御神木は鳥居脇の樹齢400年の銀杏の木ですが、残念ながら時期が早く黄金色に染まっておりませんでした。
ヤマトタケル
久々の取材です。今回は六十の手習いということで、古事記に登場する横須賀の走水神社をご紹介します。
古事記の中で一番好きな話は、日本武尊(ヤマトタケル)の妻である弟橘媛(オトタチバナヒメ)がヤマトタケル東征の際に、海の神の怒りを鎮めるために自らを犠牲にして海に入水する場面です。
ヤマトタケルが軍船で走水の海を渡ろうとしたところ、その海の神が波を起こしたため、船はくるくると回転してしまい、すると、この船に一緒に乗っていたオトタチバナヒメが 「わたしが、この乱暴な海の神を鎮めるために、あなたのかわりに海に入りしましょう。あなたは、天皇の命を完遂してほしい。」
そうして、オトタチバナヒメは、次のような歌を詠み海中に身を投じたといいます。
さねさし 相模の小野に 燃ゆる火の 火中(ほなか)に立ちて 問ひし君はも
「これも、あの相模の国の野で賊にだまされ火攻の難に遭遇した際、燃える火の中で、わたしの名を呼んでくださった愛するあなたのためですもの。」
マイカーで行けば一っ飛びなのですが、温故知新という思いもあって電車バスを乗り継ぎ目的地へと向かいました。(京浜急行浦賀駅から観音崎行きのバスに乗り終点観音崎で下車、観音崎ボードウォークを経由し、徒歩10分)
日本武尊(ヤマトタケル)弟橘媛命(オトタチバナヒメノミコト)を祀る走水神社
手水舎(てうずや)深さ30mより湧き出ている真水です。富士山より永い歳月を掛け、この辺一帯に湧き出ていると言い伝わっています。
日本武尊(ヤマトタケル)から賜った冠を石棺に納め、その上に社殿を建立して御祭神を祀っているといわれる。
社殿に寄り添うように建立された弟橘媛命(オトタチバナヒメノミコト)を祀る別宮
明治43年に東郷平八郎海軍大将、乃木希典陸軍大将らによって建立された弟橘媛命(オトタチバナヒメノミコト)の記念碑
つかの間の古事記の旅でしたが、オトタチバナヒメの辞世の句は献身的な夫への愛に満ちあふれていて感動しました。
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